こんにちは、なおです。
県庁を辞めて主夫になってから、ときどき、うまく名前のつかない気持ちになることがあります。
あえて言うなら、「引け目」「後ろめたさ」でしょうか。
妻が教員として働いていて、僕は家のことをして暮らしています。
家計のことも、家での役割も、自分なりに考えてきました。
それでも、どこか落ち着かない気持ちが残っています。
今日は、この気持ちがどこから来るのかを、ありのままに考えてみますね。
その気持ちが、ふっと顔を出す瞬間

夏の暑い日。
炎天下で働いている人たちを見たとき。
あの人は汗をかいて働いていて、僕はこれから涼しい家に帰る。
ただそれだけのことなのに、なんだか少し申し訳ないような気持ちになります。
平日の昼間に、ひとりでふらっと外食するとき。
みんなが働いている時間に、自分だけのんびりしているようで、落ち着かないことがあります。
どれも、たいした出来事ではありません。
でも、こういう小さな瞬間に、「引け目」「肩身の狭さ」を感じてしまうんです。
なぜ、こんな気持ちになるのか

やはり、僕の中に「男は働いてなんぼ」という価値観が残っているからだと思います。
僕が育った頃は、まだ専業主婦の家庭が多い時代でした。
「男は外で働き、女は家を守る」というイメージが、当たり前のように強かった。
退職して主夫になると話したとき、周りにはずいぶん驚かれました。
なおまぁ、そりゃそうですよね……
責められたわけではありません。
ただ、その反応を見て、働き盛りの男が主夫になるのは、まだ想定の外なんだと感じました。
かくいう僕自身も、同じような価値観を持っていました。
その価値観は、薄まったとはいえ、今も残っています。
人には「無理しなくていい」と言えたのに

以前の援助の仕事では、いろんな事情があって働いていない人と、たくさん接する機会がありました。
僕はその人たちに、「無理しなくていい」と言い続けてきました。
僕の場合は事情が違って、働けないのではなく、働かないことを選んだだけなので、立場は重なりません。
ただ、「働かない=悪いこと」とは思わない下地のようなものは、あの頃に少しできていたのかもしれません。
僕自身、組織の中でフルタイムで働き続けることに疲れていました。
妻が外で働き、僕が家を回すほうが、わが家には合うと考えたんです。
外で働いて稼ぐことが王道だとしても、それが自分に合っているかは、また別の話です。
頭では、今の選択に理由があると分かっています。
なおでもやっぱり、自分のこととなると、そうは割り切れないんです。
理由を考えてみても、炎天下で働く人を見ると、やっぱり少し申し訳なくなる。
その揺れを、なかったことにはできません。
だから、この記事も、答えが出たから書いているわけではありません。
まだ答えが出ない、その矛盾をそのまま残すために書いています。
答えが出ないままでもいい

ここに書いたのは、あくまで僕の感覚です。
主夫なら誰もが同じように感じる、と言うつもりはありません。
ただ、もし似たような所在なさを抱えている人がいるなら、「自分だけではない」と伝えたい。
この記事で伝えたいのは、それだけです。
所在なさは、今もときどき、ふっと顔を出します。

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